昭和44年05月31日 夜の御理解
お礼を申し上げても、お礼を申し上げても限りないのですが。またそういうこの祈りの実感というのが、私はあのうおかげを頂く元になると思うですねぇ。お詫びでも同じお詫びを深く深くさして頂いて、そこから生まれてくる感動というか、有り難さというかそういう心におかげを頂く訳ですね。もうひと月の事まぁ特に今日はお礼を申さして頂く訳ですけれども。本当にあのういろいろの行事が、ここでは無い日の方が少ないくらい。もう殆どそのう次々といろんな行事がいっぱいあってから、その行事にお使い回して頂いておるという事。
本当にもう今年もいつも有り難いと言うても、そのう充分にねこうしてあのう、本当にへとへとになるほどにお使い回し頂くという事が有り難い。御用にお使い回し頂いておるということが有り難いというお礼。そこに又そのう限りなくお使い回しを頂けれる、おかげが受けられるとこう思うですね。そこんところに私はあのうお使い回し頂くという事に対してですね。「もうはぁきつかった。きつかった。」だったら。
して神様はそんならきつなかごとというような事になるのではないでしょうか。本当に有り難い悲鳴という事をよく申しますけれども。それこそ有り難い悲鳴が出るほどに有り難いおかげをですね、頂き続けさして貰うて。御用にお使い回し頂くという事が有り難い。しかもその有り難いが、限りなく深い深いお礼になってくるというようなおかげを、頂かなきゃならんと思うですね。
どうぞ。